いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

いつからでも新しくなれる日🎂

今日は🎌山の日で、私の誕生日です。
何の変哲もない日だったのに、いつの間にか祝日になってしまいました。
「お母さんの誕生日は祝日になった‼️」と娘は笑います😂


そのような訳で、ブログのプロフィールを少し変更しました(殆ど変わっていません💦)。



生まれてから半世紀を過ぎた頃から、これからの自分がどうなるのか予想できなくて不安になり始めました。
母は57歳で亡くなっていますし、6歳年上の姉は難病に罹患していて闘病生活。
私の身近には、普通に歳を重ねた女性のモデルがいなかったのです。


年老いると どのようになるのだろう?マイナスしかないのかな?


そんな時、ふと頭をよぎったのは『婦人之友』の創刊者羽仁もと子の著書『家事家計篇』の冒頭にある言葉です。


……考えてみると、私どもはいつからでも新しくなることが出来ます。朝(あした)に道をきいたら、夕をまたずに実行すればよいわけです。


確かに年老いていく自分の身体は不安だけれど、心は いつからでも新しくなれるということは…これから迎える誕生日は《新しい私》が生まれる日なのかもしれない。
そう思うようになりました。



一昨日、いつもは記念日に疎い娘から「お母さん、誕生日プレゼントは何がいい?」とLINEが届きました。
欲しい物…?う〜ん…何だろう?思いつかない😅


誕生日プレゼントといえば…私は父の誕生日プレゼントに、いつも靴下を贈りました(本当は目下の物が履物を贈ってはいけないのですが💦)。
父の遺品を整理していた時、新品の靴下が何足も出てきて、その中には私が贈った物も。
良かれと思って贈った物でしたが、父は全く使っていなかったのです。


母が先に亡くなり、私たち姉妹が嫁いだ後、1人暮らしになった父の晩年は孤独でした。
おそらく…父が欲しかったのは靴下などの《物》ではなく、誰かと一緒に過ごす幸せな時間だったのでしょう。



少し前、いつも読んでいるブロガーさんが「歳をとってから必要なのは物ではなく、良き思い出だ」とおっしゃっていました(どなたのブログだったか忘れてしまいました…スミマセン🙇‍♀️)

私も同じ思いです。
あの世に《物》は持って行けないけれど、思い出は持って行くことができます🍀
これからは そんな《良き思い出》をたくさん作りたい…


ならば娘には誕生日プレゼントをもらうよりも、ご飯をご馳走してもらおう🎶
「ご飯なら いつでもご馳走してあげるのに」と娘は笑いながら言っていましたが😂
今日も毎度お馴染みの うなぎ屋さんへ家族で行きました。


「お母さん、せっかくだから一番高いのを食べて」と娘が言うので、白焼きと鰻重のセットをチョイス。
ゆるいダイエット中なので、夕食は糖質抜きが基本ですが…今日は大目に見ましょう😝



美味しかった〜❤️ お腹いっぱいになりました😋 
娘よ、ご馳走さまでした🙏


さて…今日から私の新しい59歳の年が始まります。
どんな年になるのかしら?どんな思い出ができるのかな?
楽しみながら歳を重ねていきたいです✨