いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

ケ・セラ・セラ🎶

今日は久しぶりにセレモニーの仕事がありました。
今回はリクエストがあります。
それは『ケ・セラ・セラ』



ケ・セラ・セラ(ペギー葉山)1996


この曲はペギー葉山や雪村いづみが歌っていたのをご存知の方も多いと思います。
元々はヒッチコックの映画『知り過ぎていた男』に使われていた曲で、主演した歌手のドリス・ディが歌いました。
「ケ・セラ・セラ」とはスペイン語で「なるようになる」という意味だそうです。


今日の故人さまは90歳を超えた女性。
故人さまがお若い時、東京のダンスホールで踊った時の 思い出の曲だそうです。
きっとご家族に いつもその話をなさっていたのでしょう😊



演奏する前に、久しぶりに この曲を聴いてみました。
私もこの曲が大好きです。
軽いタッチの3拍子で歌われますが、歌詞の内容は なかなか意味深いものがありますね。



自分は将来、どうなるのか?
私はいつも それを案じて来ましたが、半世紀以上生きてきて、こんなものだったのかなぁ…と思います。
まだ学生だった頃は、どんな仕事に就くのか、結婚するのかしないのか、どんな人生を歩むのかが分からず、とても不安でした。


でも、その時に色々思い悩んでも、時は着実に流れていくのだし…本当にこの歌詞の通り
「なるようになる」だったなぁ…と思います。



私はブログを始める前、これからの人生に夢が持てず、将来に対して とても悲観的でした。
娘にそれを言うと
「お母さん、止めてよ。そんなことを言うとプシコみたい」
(プシコとは医療用語で精神疾患患者のことを言います)


確かにその頃、自分は病んでいたのかもしれません。
事実、精神疾患の患者さんの多くは、将来のことを過度に思い悩んで鬱に陥るのだそうです。


娘に言われて、今までの自分を振り返ってみると…
先のことを思い悩んでも、なるようにしかなりませんでした。
先のことを いくら考えても、どうすることもできないのですよね。


そこで思い出したのは聖書の『空を飛ぶ鳥を見よ』の一文です(たまにクリスチャンだった一面が出ます😅)。


「あなたは自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩んではならない。
空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は彼らを養ってくださる。
野の花がどのように育つのか見なさい。
働きもせず、紡ぎもしない。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。」(マタイ6章より)



思い悩んでも、どうにもならないことを考えるだけ、時間の無駄だと気付きました。
まさにケ・セラ・セラ…なるようになる、ということですね。


自分が この先どうなるか、いつまで生きるかは分からないけれど…同じ時を過ごすなら、アレコレ思い悩んで過ごすより、思い切り楽しく生きよう‼️
行きたい所へ行って、好きな物を食べて、好きな音楽を聴いて、好きにオシャレして…楽しいと思うことをしたい。誰よりも自分のために。
そう思ったのです。



それに必要なのは、健康です。
体力がなければ、楽しく生きることはできません。
もちろん半世紀以上生きて来ているわけですから、それなりに不調な箇所はいくつかあります。
でも、これも気持ちの持ちようかもしれません。
痛ければ気をつけなさいという身体の声かもしれませんし…


私は最近、愛用のiPadにノートアプリを入れました。
それは私の夢ノート。
行ってみたい所、欲しいもの、行きたい美術展、観たい映画…それらがメモしてあります。
ブロガーの皆さんのお話を読むと、次から次へと行きたい所、やりたいことが浮かんできます。
ブログって素晴らしい‼️
いつか天に召される日まで、好奇心を失わず生き生きと毎日を過ごしていきたいな。


話は変わりますが…今日は七夕です🎋
七夕には収穫できそう、とお話していたスイカ第1号。



カラス避け🐦‍⬛のカゴを取って、本日収穫しました❣️



すぐに食べても美味しくないので、少し熟成?させます。
目安は上部のツルが枯れて来るぐらいまで。


スイカだけでなく、我家の畑はケ・セラ・セラがモットー。
なるようにしかならない畑ですが💦ちゃんとスイカができました🙌
これはスイカの《育つチカラ》のおかげですね✨


全く思い悩む日がないわけではないけれど…
先のことは神さまにお任せして、今を楽しく生きたいと思います😇
ケ・セラ・セラ〜🎶