いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

実家仕舞い〜我家の場合

今日、いつも拝見しているブロガーさんが実家のお片付けについて書いてらっしゃるのを読んで、自分が実家仕舞いをした時のことを思い出しました。
私が実家仕舞いをしたのは45歳の時です。
あれから13年過ぎて時代も変わりましたが、忘備録として残しておきたいので…
宜しかったら、今日は私の思い出話にお付き合い下さい🙏



父は母を亡くしてから20年、1人で住んでいました。
実家は母の遺品、姉と私が実家に残していった物で溢れており…どこから手を付けたら良いのか分からなかったです😅


不動産や金銭的な相続は自分たちで処理するには無理がありました。
姉は他の人に介入されることを嫌がりましたが、税金の問題もあったので、会計事務所の相続専門の方に依頼。
おかげで税務署から何も指摘されることなく、無事に済ませることができました。


精神的に重かったのは、仏壇を閉じることと墓仕舞いです。
姉も私も嫁に出ていたので、墓守をする人がいません。
姉は長男の嫁なので墓を継ぐことができませんし、消去法でいくと墓守できるのはウチの娘だけになってしまいます。
娘は墓を継いでもいいと言いましたが、苗字の違うお墓を守らせるのは気が引けました。
それに仮に娘が継いだとしても、その先はどうなるか分かりません。
なので父と母は永代供養にして、位牌はお寺に置いてもらうことに。


お墓は永代供養の後に撤去、仏壇は僧侶さまに仏壇閉めのお経をあげていただき、葬儀会社に依頼して引き取ってもらいました。


旧とらひめ一家が所有していた大量のモノの処分…これも大変な作業。
姉はその頃、既に病気を発症していましたが、何とか自力で動けたので、2人で相談しながらモノを処分していきました。
全部まとめて業者に頼んでも良かったのですが、どこに何があるのか分からなかったので(特に財産や個人情報に関わるモノ)、できるだけ自分たちで片付けたかったのです。


当時、私は土日を除いて週1日しか自由にならず、その日を実家の片付けに充てました。
1つ1つ部屋を片付け、ゴミ袋に詰めて…病気の姉を気遣いながら作業。
とにかくモノが多いので、基本的に全部捨てると決めます。
捨てないと決めるなら、ゆくゆく私が自分で処分できるモノに限定しました。


父の遺品の中には、娘に見られたら嫌だっただろうな〜と思うモノもあり…🙈
私も娘や人目に触れられたくないものは、早めに処分しようと思ったものです😂


一番ビックリしたのは、私たちの結婚式の引き出物の入った袋。
母が亡くなったのは結婚式の2週間後だったので、父は その袋を開けるのをすっかり忘れていたのか?中に入っていたお菓子まで20年もの間眠っていました💧


母の嫁入り箪笥も、母が亡くなってから一度も開けられていなかったようです。
たぶん父は母の遺品を処理するのが嫌だったのでしょうね…母の記憶まで失われそうで。


私たち姉妹も母が亡くなって間もない頃だったら辛かったと思います。
でもさすがに20年経っているので、母を懐かしみながら母の箪笥の中身を処分しました。
「お母さん、この服が好きだったよね〜」と言いながら。


母の箪笥に入っていた服の下に、父、姉、私への3通の遺書も その時に見つけました。
たぶん最初の手術を受ける前に書かれたものだったと思います。
結局、父は母の遺書を読むことなく逝ってしまったのでした。


私も姉もなかなか処分できなかったモノ…それは賞状です。
中でも父が青年時代に湖で溺れていた人を助けた時にもらった人命救助の表彰状。
この他にも勤続〇〇年とか、たくさんの賞状が実家にはありました。
でも、これらも私たちには意味があるかもしれないけれど、娘の代以降では意味がなくなるモノだと思います。


決心がつかない私を見て、夫が処分するよと言ってくれました。
自分は《旧とらひめ家》にあまり関わりのない人間だから、自分しか処理できる人はないだろうと言うのです。
その言葉に甘えて、実家の庭に穴を掘り、他の個人情報満載の書類と共に焼却してもらいました。


最後の方は、姉が体調不良からできなくなり、私が1人で片付け。
作業できなくなった姉に代わって、たくさんのゴミ袋と布団は、義兄が処分場に持って行ってくれました。
父が亡くなったのが10月末で、真冬の暖房もない実家で黙々とモノと格闘し…更年期真っ只中の自分にとって、とても辛い作業だったなぁ…
あの頃はまだ体力がありましたが、今の自分にはとても無理だと思います。


実家の建物を相続するのは私と決まっていたので、《旧とらひめ家》の片付けは私に課せられた責務でした。
実家をリフォームして住むことも考えましたが、耐震の面で心配だったので、結局建て替えを決意したのです。


その後、《旧とらひめ家》は翌年の3月に処分しきれなかったゴミと共に解体されました。


今、私の手元に残っている母の遺品はブローチが2個と、母手製のスカートが1枚。



人の服を仕立てていた母だけあって、縫い目もキチンと揃っていて、手でかがり縫いしたとは思えない出来栄えです(ちなみにこのスカートはサイズ的にもう着られません🤣)。



父の遺品は調律で使う音叉と調律師協会の会員証。



写真は小さなアルバム1冊に収まるほかは処分しました。



母のスカートと父の会員証は自分の棺桶に一緒に入れるつもりです。
ブローチと音叉は燃えないので、私が死ぬ前に畑の隅に埋めようかな…


実家仕舞いを経験して思ったのは…
自分が持つモノとの付き合い方です。
今、自分が持っているモノは自分にとっては大切ですが、他の人にとってはそうではないかもしれません。
なので少しずつ身軽になっていくのが良いと思いました。
あの世には何一つ持って行けませんものね…


70代までは多分、気力も体力もまだ大丈夫かもしれませんが、80代になるとそうはいかないと、父を見ていて思いました。
あと20〜30年のうちに少しずつモノを減らして、娘に苦労をかけないようにしたいと思います😂