最も親不孝なこと(音楽のおくりびと🍀〜その18)
今日のとらひめ地方は冷たい雨☔️
その中でセレモニーピアニストのお仕事がありました。
今日の故人さまは、私より年下の50代半ば前の方です。
このお仕事を始めて3年になりますが、自分よりお若い人をお見送りしたのは、過去に3度ほどでしょうか。
お若くしてお亡くなりになったのは、ご病気が理由の場合もありますが、ご自分で命を絶たれた方や、事件により他人から命を奪われたケースもあります。
【今日は少し重いお話ですので、お辛い方は読み飛ばして下さい】
今回の喪主さまは、故人さまのお父さまでした。
故人さまは人間的に良くできた方で、お友だちも大変多かったようです。
メモリアルコーナーには、勤先の方から頂いた寄書きの色紙がたくさん飾られていました。
スライドショーのお写真は、幼い頃の端午の節句、ピアノの発表会、野球のチーム、体育大会の応援団長をなさったもの。
ご両親が大切に育てて来られたのが、本当によくわかりました。
親御さんのお歳は80を過ぎておられるでしょうか。
故人さまは「退職したら実家に戻って親孝行するよ」と常々おっしゃっていたそうです。
それなのに、突然、ご両親より先にお亡くなりになってしまいました。
ご両親の悲しみようは、本当に言葉にならないほどでした。
このような時、音楽は何の慰めにもなれず、ご遺族の悲しみの前には大変無力なのです。
私の娘は仕事柄、しばしば人の死に立ち会います。
中には若くして、ご自分のご両親より先に旅立ってしまう人も。
お子さんに先立たれ、悲しみに暮れる親御さんを見て、娘は
「親よりも先に死んでしまうのは、最も親不孝なことだとつくづく思う」と言います。
ですが世の中には『死』を軽々しく口にする方も多く、それをネタにする人も…。
先日、おふとんさんも記事で触れてらっしゃいましたが、「死ぬ」ということは軽々しく扱って良いものではありません。
特に若い世代の一部の人は「死」を美化したがる傾向があります。
でも、人の死は決して美しいものではなく、そこにあるのは喪失感だけ…。
人の生命は尊いものです。
「おくりびと」の記事を書いている私が言えることではありませんが、生命の終わりである
「死」を軽く扱って欲しくないと、今日のご両親を見て思いました。
お若くして亡くなった方をお見送りする時、私は松任谷由実の「ひこうき雲」を演奏します。
でも…今日のお式では この曲は演奏しませんでした。
どの曲を演奏しても、悲しみに暮れるご遺族に寄り添えるものではないと思ったからです。
歌詞のない、穏やか目のヒーリングミュージックを弾くにとどめました。
人の一生は本当にわからないものです。
私は幸いにも両親を見送ることができたので、最大の親不孝をせずに済みましたが…
ミニサイズの親不孝は沢山してしまったと思います。
もう自分の親に会うことは叶いませんが…
今の私の年齢になる前に亡くなってしまった母の分まで生きて、天国にいる両親にその後の報告ができたらいいな。
たくさん報告できる《思い出》を作りたいと思います🍀
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