いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

母と、自分のこれからと。

今日は母の命日です。
去年も確か同じ内容の記事を書いていました。



「人は二度死ぬ」と言われています。
1度目は肉体の死で、2度目は人々の心や記憶から忘れられてしまった時だそう。


母が亡くなって34年が過ぎ、母のことを覚えている人も少なくなりました。
子である私や姉には母の記憶がしっかり残っているはずですが、難病を患っている姉の精神状態は今どのようなのか分かりません(姉を介護している義兄家族に気兼ねして連絡できないままです)。
母が亡くなった時、4歳だった甥は《ばあば》を覚えているかしら?


母方の従兄弟で今生きているのは、私よりかなり年上の人が1人だけ。
ということで、私が母のことを覚えている最後の人間になりつつあります。
おそらく母が2度目の死を迎えるのは、そう遠くないでしょう。


でも これも時の流れなので、仕方のないことなのだろうな…と思うようになりました。


私の記憶の中の母は、真面目で勉強家。
お人好しで少し天然の入っている人でした(私とずいぶん違うな〜🫢)。
生きていたら、きっとカワイイおばあちゃんになっていただろうと思います。


母は ばあちゃん(夫の母=義母)と同い年なので、もし今でも生きていたら生きていたら92歳かしら?
そんなことを考えていたら、今朝、ばあちゃんから宅急便が届きました。
毎年お正月に夫の実家から お札と御守りを送ってきてくれます。
お札と一緒に枯露柿(ころがき)が入っていました。



枯露柿は干し柿で、夫の故郷の名産。
私の好物だと知っているので、いつも送ってくれるのです。
荷物が届いたという連絡と お礼を伝えるために、久しぶりに ばあちゃんに電話をしました。


ばあちゃんは長男である義兄家族と同居しています。
電話で話すと、元気なようで安心しました。
でも高齢になったからでしょうか…少々鬱状態にあるみたい💧
「お仏壇の じいちゃんに『早く迎えに来て』ってお願いしてるんだよ」と…
そんなことを聞いたら、何だか切なくなりました😢


自分の親が年老いていくのを見るのは辛いこと。
最近、同年代の方が、年老いた親の介護などについて悩んでいるという話を良く聞きます。


私の場合、母も父も病死で、看護期間は1年未満でした。
その時は大変だったけれど、バタバタしているうちに亡くなってしまったという感じです。
母を早く亡くしたので、娘を育てる時に助けがなかったのは自分にとって厳しかったけれど…
すごく親不孝な言い方ですが、私が年老いた母を見なくて済んだというのは、悪いことではなかったのかもしれません。
早く亡くなったから、記憶の中の母は ずっと良いイメージのままなのだろうな…と思うのです。


トラ🐱は猫でしたが…💦
1年にわたる介護が大変だったので、可愛かったよりクソジジイのトラ🐱の記憶が勝ってしまいます。
病気であっという間に死んでしまった先代猫は、良いイメージのままなのですが。


私が年老いたら、最期を看取るのは娘になるでしょう(順当にいけば)。
私という存在は この世に忘れ去られても構わないけれど、娘の記憶に残る私は できれば良いものであって欲しいなぁ…と思ってしまいます。
それにはピンピンコロリが理想ですが、上手くいかないかもしれません😅


とりあえず、なるべく長く自分のチカラで生活すること…身の回りのことを自分でできれば、娘にかける負担は減らせられるでしょうか。
そのために、身体も心も健康でありたいと思います。

天国のお母さん、いつまでも私を応援してね😊