いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

育てられない社会

今日はセレモニーの仕事がありました。
今回はリクエストがないので、いつものアレを演奏します🎹



会場へ入ると、何だか とても賑やか。
その理由は参列者に お子さん連れの方が多かったからでした。
今日の故人さまは私の母より少し下くらいの方。
故人さまの お孫さんでしょうか?
若いパパとママ(たぶんウチの娘と同じくらいの世代)が お式に出席していらっしゃいました。


幼稚園児から生後半年くらいのお子さんまで、6〜7人はいらっしゃったでしょうか。
たくさんの人と一緒になる機会は滅多にないせいか、どのお子さんもハイテンションで大騒ぎです。
僧侶さまの読経が聞こえないくらい😂


私が子供だった頃は、葬儀の場は厳粛なものだからという理由で、小さな子は参列させてもらえませんでした。
また、亡くなった人の姿を子供に見せるものではないという風潮もあったと思います。
最近は葬儀の形もずいぶん変わり、家族で大切な人を送りましょうというスタイルなので、幼い子供が同席することが増えました。


会場内で追いかけっこする お子さんを見て、子供のエネルギーってすごいなぁと思いました。
最近、小さな子と接する機会がなかったのでビックリです。
自分が娘を子育てしていた時は必死だったので記憶にないのですが😅


それを見て、2歳半くらいだった娘を連れて東京へ行った時のことを思い出しました。
地下鉄の東京駅で、ふと回りを見渡すと…子供を連れた人は誰もいません。
今は子供と一緒に入れるトイレがあり、オムツを交換できるベビーベッドがあったり、探せば授乳室が見つかりますが…今から30年くらい前は殆どありませんでした。
子供同伴で外出するという世の中ではなかったと思います。


子連れて お店にご飯を食べに行くのは、なかなか難しいことでした。
子供が騒ぐと、他のお客さんに気兼ねして ゆっくりご飯を食べられない…そんな時代だったと思います。
私が娘1人しか育てなかったのは、社会が子育て世代に冷たかったからでした。


というか、この国は つくづく《育てる》ということをしない国だと思います。
《育てる》というか、育つのを待てないのでしょうね。
日本人は《待つ》のが苦手です。
昔はそんなことはなかったと思いますが。


子育ては待つこと。
私は娘を育てながら、《待つ》ということを学んだ気がします。
早く大きくなってくれないかなと いつも思っていましたが、姉から「子どもは ゆっくりゆっくりしか育たないよ」と言われた通り…どんなに急がせようとしても、娘はゆっくり育っていきました🐌
今思えば、あっという間でしたけど。


社会で働く人間もそうです。
自分を振り返ると…新人の頃、早く一人前の教師になりたいと いつも思っていました。
ペーペーだからとバカにされたくなかったからです。
でも2年、3年としているうちに、言うことをきかない生徒が少なくなりました。
知らず知らずのうちに、職業が人を作っていったのだと思います。
職場の先輩たちも、至らない自分を根気よく見守り、育ててくれました。


でも今の社会はそうではありません。
今の時代、求められるのは即戦力です。
私が教える専門学校の卒業生は、幼稚園(こども園)で新卒1年目から3歳児の担任を たった1人でさせられ、他のスタッフに助けを求められなくて辞めてしまいました。
いくら職業や立場が人を育てると言っても、それは下地があっての話だと思います。


人材不足と言われますが、それは使える人材がいないから。
人材を育てていないのだから、仕方がないと思います。
《待つ》のが苦手な日本人なので、人材が育つのも待てないのでしょうね。


昔は…と言う言葉を使いたくはありませんが💦
昔はもう少し社会に余裕があって、少し失敗しても大目に見てくれる度量の大きさがありました。
でも今は…みんなに余裕がありません。
それは世の中に流通しているお金が少なくて、皆んなの生活がカツカツだからだと思います。
やっぱり懐具合が寂しいと、人に優しくできないんじゃないかしら?
政府は経済対策をと言うけれど…掛け声だけで ちっとも景気は上向きません。



それでも…
昔より子育て中の世代が、外に出ていきやすい環境は整いつつあります。
それは歓迎されることですよね🍀
今日の お式に参列された子供さんを見て、そう思いました。


これからの世の中を作っていく子供たち。
子供を育てると言うことは、社会と国を育てることです。
私は1人しか育てなかったけれど…しかも孫は望めそうにないけれど😂
未来が明るいものであってほしいな、と思いました。