いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

8月は鎮魂の月

8月は私の誕生月です。
自分の生まれ月ですので、子どもの頃から何となく特別な感じを持って8月を迎えてきました。
また8月15日は終戦記念日ですので、鎮魂の月でもあるような気がします。


初めて学校図書館が利用できるようになった小学3年生の時、自分の誕生月がタイトルに入っている『八月が来るたびに』(おおえひで作/理論社)という本を借りて来ました。



それは8月9日、長崎の原爆投下についての話。
当時の私には少し難しい内容でしたが、両親から戦争の話を繰り返し聞いていたこともあって、だいたい理解できたと思います。
長崎に落とされた原子爆弾の話は、子ども心に恐怖でしかありませんでした。


「もう戦争は起きない?」と母に訊ねると、
「日本の国は二度と戦争しないという憲法があるから大丈夫」と言われ、安心した記憶があります。
(近年、それは大分怪しくなってきましたが…)


私は両親にとって遅い子どもで、父は昭和2年生まれ、母は昭和7年生まれ。
2人とも いわゆる《昭和ヒトケタ世代》で、戦時下に育ちました。
第二次世界大戦中、私の住んでいる所には陸軍飛行場や大きな軍需工場があったので、連合軍による攻撃の標的となったそうです。


頻繁にB29爆撃機や機銃掃射機がやって来て、無差別に攻撃されました。
母はあまり多くを語りませんでしたが、目の前で普通に同級生が死んでいったそうです。
父母と同じ昭和ヒトケタ世代の方は生きることに貪欲ですが、それは戦時中に死と隣り合わせの毎日を送っていたからなのでしょう。


私が子どもの頃、街中で旧日本軍の軍服を着た、片腕や片足がない人が物乞いをしていました。
そのような人に出会うと父は決まって、私にお金を渡して持って行かせました。
私は幼心に足や手を失った人を見るのが怖かったので、あまり側に寄りたくなかったのですが…私がお金を缶に入れると、その方は深々と頭を下げたものです。

何故その人たちにお金を恵むのか父に訊ねると、「お父さんも あのような姿になっていたかもしれないから」

戦争末期に出征した父は幸い戦地に送られることなく終戦を迎えました。


今年2023年は戦後78年になり、戦争体験を語っていた父母の世代は今、90歳前後です。
私の両親は亡くなってしまいましたが、この地には今でも不発弾が見つかることも。
市街地の外れには戦時中に使われていた哨戒塔や防空壕跡など、戦争の遺構が今でも残っています。


最近では もう戦争体験者の話を直に聞くことは少なくなってしまいました。
でも8月が来ると、自分が体験したわけではありませんが、戦争のことを考えます。
8月に限定しませんが時々、戦争の遺構を訪ねることも。
一昨年は伊良湖にある旧陸軍第一研究所跡を訪ねました。



これは気象塔兼展望塔で、射撃試験場だったそうです。
近隣には他にも旧陸軍の遺構が多く残されていました。
その時代に ここで何が行われていたのか、詳しくは分かりませんが…
このような遺構を見ると、戦時中に生きていた人たちの魂が漂っているような気がするのです。


戦争は何十年も前になるけれど、確かに この地でもありました。
今は普通に毎日を送ることができる平和な時代です。
でも それはものすごく危うい物なのかもしれません。


人間は過去からしか学ぶことができないと言われます。
少し前、広島市教育委員会が平和教育のテキストから『はだしのゲン』を削除したことが大きく報じられました。



戦争体験者の多くが亡くなりつつある今、どうやって戦争と平和を伝えていくか、難しい問題だと思います。



8月の空は青くて美しいです。
でも78年前はそうではなかった。
戦争を語って聞かせてくれた父母はもういませんが…8月が来ると戦争のあった時代と、その時代に生きた人を思うと、手を合わさずにはいられません。