断捨離というのは、思い出を整頓すること
今日は毎年この時期に お願いしているピアノ調律の日です。
以前にもお話ししたように、私の弾いているピアノは技術者でもあり調律師だった父が残してくれたもの。
調律師さんが来られるので、ピアノの部屋を片付けなければなりません。
私は片付けが嫌いで、掃除が苦手。
「これ、どうしよう?」と思ったモノは とりあえず自分の部屋(=ピアノの部屋)に入れておき…練習途中の楽譜は いつでも直ぐに弾ける状態にしておきたいので、どんどん散らかります😂
もうじき調律があるから片付けよう、と思いつつ…気が乗らなくて💧
結局、今日の午前中に慌てて片付けるハメになりました😱
私の部屋は自分で言うのも何ですが、カオス状態です🌀
今年、やることとして、毎週10個のモノを処分すると決めました。
何も捨てるモノが見当たらない時は、自分の部屋を見渡して捨てています。
今まで楽譜は捨てない主義だったのですが、去年は随分減らしました。
そこから更に減らそうと思い、先週は分厚い音楽史の本や音楽書をBOOKOFFへ持って行きました。
専門書なんて値段が付かないだろうと思いましたが、なかなか良いお値段になってビックリ😳
他に売れそうな物はないかしら?
まずは部屋を片付けることが先決なのですが😅
本棚の一角を片付けていると黄緑色の封筒が出てきました。
何が入っていたっけ?開けてみると、中には私の昔の成績表や母子手帳(子どもは私)、母の遺書が…これは思い出の封筒でした。
懐かしい母の筆跡。思わず手に取って読んでしまいました🥲
う〜ん…これは自分が死んだ時、棺に入れてもらおう。
更に奥を探ると、こんな物が。
娘が生まれた時、生徒から貰った色紙です😂
これを書いてくれた子たちは今、アラフィフになっているはず。
こういうモノって、なかなか捨てられません。
いつかは処分しなければならないと思うけれど、自分のの歴史だからなぁ…
踏ん切りがつかなかったら やっぱり棺桶に入れてもらう?
こんな事を言っていたら棺桶がモノで溢れそうだけど🤣
大量のCD。これらは殆どクラシックです。
ネットで聴けるJポップの物は、去年売ってしまいました。
杉山清貴、オフコース、南佳孝、井上陽水…結構良い お値段だったと記憶しています。
ネット上に自分の楽曲を載せない山下達郎や中島みゆきのCDは残してありますが。
クラシックのCDは自分の専門分野が多いです。
昔は お目当ての曲が手に入りづらくて、東京へ行った時に外国版専門の お店で買いました。
その数300枚以上。どこで買ったか、どのようにして手に入れたか、克明に覚えています。
ネット上にも同じ曲はあるけれど、思い出が刷り込まれているので手放せません。
でも、私にとっては宝物でも、他の人にはゴミですね😅
楽器もあります。
ここには載せていませんが、フルートや吹奏楽を指導していた時に使った指揮棒も😅
ピアノは2台あります。
もう使っていないアップライトピアノをどうするか、ずっと迷っています。
調律師さんの話では、東南アジアの国々では日本のピアノが人気なのだそうで…売るなら今だと言われました。
う〜ん…でも、これを処分するのは、過去の自分を捨てる気がしてしまう。
「音楽家にとってピアノは恋人だから、いつも側に置いておきなさい」
これは かつての師匠の言葉でした。
その言葉の通り、音楽をしている限りはピアノと一緒ですが、私が音楽をしなくなった時は処分を考えなければならないと思います。
娘にそれを言うと、「何で捨てなければならないの?」と😅
確かに…私も娘も、生まれた時から側にピアノがありました。
音楽をしない人にとっては粗大ゴミですが、娘にとってもピアノは大事な物なようです。
アップライトの方は考えなければならないけれど、グランドピアノは娘に託せるかもしれません。
今日、改めて思ったのは、この部屋にある物全てが自分の歴史だということです。
他の人に比べて たくさんのモノを持っているということは、それだけたくさんの思い出を持っているということなのかもしれません。
きっと私は幸せだったんですね…その時は意識していなかったけど。
しかし、大量のモノと格闘した実家仕舞いの経験から、持ち物は減らすべきだと分かっています。
後に残される娘のためにも。
「断捨離」とは、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする思想である。
(Wikipediaより)
物には執着していませんが、思い出には執着している私😂
私にとって断捨離とは、思い出を整頓することなので…しばらくは葛藤し続けることでしょう🤣
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。