誰かのために音楽をする
ブログ巡りをしていると、ムラゴンのブロガーさんには 素晴らしい才能をお持ちの方が沢山いらっしゃるなぁと思います。
音楽、手芸、絵画、工作…本当に ここは人材の宝庫ですね✨
特に演奏は、音楽を仕事にしている私より ずっと上手で…正直言って焦ってしまいます😂
そこで ふと考えました。
何をもってプロというのだろうか?ということです。
ネットで調べてみると…
プロの元々の意味は「professionに関連する」あるいは「professionに属する」という意味なのだそう。
このprofessionとは、賃金を支払われる仕事のことで、トレーニングによって何らかの資格を要するような専門的な仕事ということ。
つまり、その技能によって賃金を得られるかどうか、というこのようです。
ということは…私はプロということになるのかしら?
自分的には全く その意識がないのですが😅
私の弾くピアノは どのように聞こえているのだろう?
そこでスマホで自分の演奏を録音してみました。
実は学生の頃から、私は自分の録音を聴くのが嫌いなのです。
録音していると思うと緊張するし、上手く演奏しなければと変に意識して集中できません。
特に自分が歌っているビデオを観るのは大嫌いでした。
こんな顔してんの?って思ったりして😂
ただしレッスンは別で、先生の言うことを聞き逃したくなかったので いつも録音していましたが。
ほぼノーミスで弾ける《いつものアレ》から1曲を選んで録音し、聴いてみると…
う〜ん…もう少しテンポを上げた方がいいな、とか
そろそろピアノの調律を頼んだ方がいいかも?音が狂ってるし、とか💦
演奏自体よりも、変なことが気になりました。
こんな演奏、とてもYouTubeにアップすることはできません(そもそもYouTubeへの投稿の仕方も分からないし💦)。
最近ではカラオケやYouTube、ネットの普及によって、今や皆んながアーティストという時代です。
そのような中で、自分の立ち位置って何なのだろう?
振り返ってみると…学生時代は良い歌を歌いたい一心で練習し、レッスンを受けていました。
この時は自分のために、演奏していたと思います。
音楽教師になってからは、教えるために音楽をしていました。
学校での私は教育者であって、音楽家ではありません。
自分のために演奏するのではなく、誰かが音楽をするための手伝いをするという感じでした。
仕事を辞めた時、これから自分は音楽から離れるかも…と思ったことがあります。
当時、私が唯一 音楽と関わっていたのは、教会のオルガンを弾くことだけでした。
今はもう教会へは行っていませんが💦
「あなたは音楽という賜物を神様からいただきました。
だから、あなたは 自分の音楽を どのように使うか、よく考えなさい」
これは当時の牧師先生から言われた言葉です。
賜物とは《頂き物》のこと。
「そうか…私の音楽は人のために使われるべきなのね」
教会の礼拝では、信者の方が主役です。
讃美歌の伴奏をする時は、皆が歌いやすく、息継ぎがしやすいようにしました。
オルガンはBGM的な役割もあったので、中途で演奏を止めなければならないこともあります。
そんな時は即興で自然な終わり方をするように心がけました。
また、いきなり初見の楽譜で伴奏しなければならないこともあったりと…
オルガニストを経験したおかげで、状況に合わせて演奏することができるようになったと思います。
これは演奏技術というのとは違う、対応する能力でした。
対応する音楽なので、主役は私ではありません。
それは今のセレモニーでの仕事に繋がります。
この世の旅路を終えた時、その方の人生の思い出を織りなす音楽がある…それを演奏させていただく。
それは光栄なことです。
結局のところ、私は誰かのために音楽をすることが好きなのかもしれません。
今の目標は、なるべく長く この仕事を続けること。
フジコ・ヘミングのように90歳を超えても演奏できるとは思いませんが😅
現状維持は大事です。
私より上手な人はたくさんいて、自分の演奏技術の低さに嫌気がさすことばかりですが…
誰かのために音楽できるのは幸せなこと。
私の音楽の主人公は、私ではなくて、私の音楽を聴いてくれる人なのです。
プロとはいえないけど…精一杯の音楽を、これからも奏でていきたいな…
そのためにも たまには客観的に自分の演奏を聴いてチェックしようと思います😂
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