いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

第3号被保険者の憂鬱

今年も確定申告の時期がやって来ました。
従来は税務署や その出張機関にわざわざ出向いて申告しなければなりませんでしたが、最近はe-taxを使って電子的に手続きできるようになったので、私も去年からスマホで申告しています。
私の場合、第3号被保険者なので、確定申告をすれば還付金が戻ってきます。
申告すれば まあまあの金額が返って来るので、毎年必ず手続きをしています。
今までより申告の手続きが比較的簡単になったので、それ自体は憂鬱ではありませんが…
自分が第3号被保険者であるという事実を突きつけられるのは、あまり気持ちのいいものではありません。




第3号被保険者とは厚生年金、共済組合に加入している第2号被保険者に扶養されている主婦や主夫のことです。
私は高校に就職してから4年(正確には5年?)、共済組合に加入する第2号被保険者でした。
とは言っても当時は それほど社会保険制度や税制に関心がなかったのですが💦

ずっと仕事を続けるつもりでしたが、子育てしながら働く環境が整わなかったので、育児休暇を取得した後は職場に復帰することなく そのまま退職。

退職と同時に夫の扶養に入り、私は第3号被保険者となりました。
その時、初めて《扶養》という仕組みについて知り、「そうか…私は夫に養われる立場になったのね」と思いました。
ちょっとフクザツな気分になったのを よく覚えています。


娘が生まれてから4年(5年?)は 外に出て働けず、専業主婦として過ごしました。
頼りになる母は亡くなっていたし、夫は仕事で忙しかったので、1人で育児をしなければならなかったからです。
社会から切り離されて、娘と向き合う毎日は なかなかシンドイものでした。
う〜ん…私は私で頑張っているのに、これでも夫に養ってもらっているという立場なの?


とにかく社会に出たいなぁ。
自分が親に身につけさせてもらった技術を生かして仕事をしたい。
それは お金を稼ぐというより、社会参加したいという欲求の方が強かったと思います。
そうすれば自分は《養ってもらう立場》ではなくなるのかもしれません。


娘が幼稚園の年中になった頃、機会あって近くの紡績工場内にある企業内学園で教えることになりました。
とはいっても時間給の非常勤講師ですが💦
お給料をいただけるのは もちろん、でも それよりも社会に出られたのが嬉しかったです。


何年か過ぎた頃、別の学校から講師の話がやって来ました。
教師という仕事は娘が学校に行っている時に働くので、時間が増えても さほど問題はありません。
それで2つの学校を曜日ごとに分けて、掛け持ちで教えることにしました。


その時、『103万の壁』にぶち当たったのです。
教える時間数が増え、所得が103万円を超えたことにより、配偶者控除から外れて所得税が課税されるようになりました。
授業時数は年間で決められているので、その額を超えないようにセーブして働くことはできません。
仕方ないので103万を超えても働きました。


次にぶつかったのは『130万の壁』です。
『103万の壁』はそれほどでもありませんでしたが、こちらは大問題でした。
130万を超えると社会保障費を自分で支払わなければならないので、増えた収入よりも持ち出しが多くなります。
そこからプラスに転じるためには160万以上稼がなくてはならないので、130万は絶対に超えないように気をつけました。



私立高校と、新しくできた昼間定時制の単位制高校の仕事を引き受けた年、年間授業時数の計算が今までの学校と違ったので、そのままだと130万を超えてしまうことがわかったのです。
夫は扶養内でなら、ということで私が働くのを容認していましたが、130万以上になると知って激怒(当時は かなりモラハラだった)。
何とかしろ、と言われたのでダメ元で私立学校側に時間調整してくれるように交渉しましたが断られ…年度途中でしたが、仕方なく そちらを退職しました。
幸い後任の先生が直ぐに見つかったから良かったけれど、せっかく人間関係ができた生徒と別れるのが辛かったな…。


しばらくは定時制高校だけの勤務でしたが、縁あって今 勤めている専門学校から話があり、再び2校掛け持ちで教えることになりました。
そして翌年、クラスが増えたので再び『130万の壁』に遭遇。
もう2度と途中で仕事を投げ出したくなかったので、今度は扶養を外れて働くことを決意しました。
ですが増えた授業数は ほんの少しだったので、とても160万には届きません😅
毎週の仕事量は増えたのに、収入は『130万の壁』の時より かなり少なくて、心身ともに疲れてしまったのでした。


その次の年は『130万の壁』に収まるために、自分の持ち時間を減らすことにし…高校時代の同級生に頼んで、一方のクラスを担当してもらうようにしたのです。
それが現在まで続いている状態。


こうして振り返ってみると、私の仕事は いつも『130万の壁』との戦いでした。
もし今の社会保険制度がなくて、『103万の壁』や『130万の壁』がなかったら、自分はどうしていただろうか?と いつも考えます。
おそらく自分ができるギリギリのところ、いや、それ以上に望まれるままに働いていたに違いありません。
それが幸せだったか、満足のいく生き方だったかは別として。



第3号被保険者制度は、単身者や共働きの第2号被保険者から 今の時代に合わないし、女性の社会進出を妨げるという観点から批判の対象となっています。
普段は あまり意識していませんが、メディアで取り上げられたり、還付金の申告をするたびに、第3号被保険者である自分は 働く女性から無言の圧を受けている気持ちになるのです。
私は今の社会保険制度の中で、制限を受けながら働いてきたけれど…そうするしか なかったのだけど…自分は批判される立場なのかなぁ?と。


過去に自分がして来た人生の選択は、その時々真剣に考えた末のことなので、後悔はありません。
それに今さら言っても その時に戻って別の人生を歩み直すなんてことはできませんし😂



一旦できてしまった制度を変えるのは大変なこと。
でも、不平等感を抱えたまま、現行のシステムを続けていけば、格差は広がって人々は歪み合います。
全ての人が平等に支え合っていく、新しい社会の仕組みができて欲しい。
本当に心から そう願っています。