いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

若さは魔法(音楽のおくりびと🍀〜その17)

今日も昨日に引き続いてセレモニーピアニストのお仕事でした。
秋から冬にかけて旅立たれる方が多いので、私の出番も多くなります。



今日はリクエストがありませんでした。
会場は とらひめハウスから20キロほど離れた、ちょっと遠方の地。
故人さまは90代半ばの女性でした。
農家に嫁いで、ずっと農業をなさっていた《農家のおばあちゃん》だそうですが、ご遺影のお写真を見ると、八千草薫に良く似た美しい方でした。


↓↓ コチラは本物の八千草薫さん。


ご家族は愛するお婆さまのために美しい花祭壇をご用意なさいました。



会場には故人さまを偲ぶ《メモリアルコーナー》というスペースがあります。
思い出の品々を飾り、故人さまの ありし日々のお写真をスライドショーでご紹介。
私は、このコーナーを見るのが好きです。


ただ、いつも思うのは、ご遺影とスライドショーのお写真が少し違うなぁ…と。
最近では ご遺影の前撮りが流行っていますよね。
最期の姿は美しくありたいと誰もが願うからでしょう。


かつてお仕事したセレモニーで、お亡くなりになった方は80歳超えだったのに、ご遺影は50代の頃のお写真ということがありました😳
その方は男性で、お若い頃はイケメン(この言い方はもう古い?)だった感じです。
お年を召した自分の姿が嫌だったのでしょうね💦
(でもメモリアルコーナーのお写真は、しっかりオジイチャンになってました)


若い頃は人によって【美しさ度】に大きな開きがあり、それがだんだん年齢が進んでいくと、みんな同じようにオジサン、オバサンになっていきます。
そして更に年齢が進むと美人、不美人の差はほとんどなくなり…90歳を超えられると、男女の区別なく【お年寄り】という感じに。


私の世代もオジサン、オバサン後半となりました。
最近、昔ほど美人、不美人にこだわらなくなったような気がします。


私の容姿は良くも悪くもない10人並みって感じなので、昔モテた美しい友だちと会っても、揃ってオバサンになった今、それほどコンプレックスを感じることはありません。
でも若い頃に美しくてモテた人にとって、歳をとることはとても辛いのかも?と思ってしまいます。


そう言う私も昔の自分を捨てきれていないのかもしれません。
ショーウィンドウ(言い方が古い?)に映る自分の姿に唖然としますし…
通販で服を選ぶ時などがいい例で、[この服を着た自分]をイメージする時、その自分は30〜40代の頃の自分になってしまいます☹️
特に女性は、自分が一番輝いていた時のイメージが、いつまでも頭から抜けないのかもしれません。


巷では《美魔女》というものが流行りです。
特に日本では、若いことがヨシとされる風潮があるので、そうなるのでしょう。
残念ながら、私は元の容姿に自信がないので、とても《美魔女》にはなれません😂
かつて美しくて、その自分を捨てきれない人は、《美魔女》になるために努力するのでしょうね。


私が学校で接するのは高校生から専門学校生です。
彼らは まさに魔法の時を生きている。
身体を思うように動かせるし、見た目も麗しい✨
でも…人には平等に時間が与えられているので、今若い彼らも いつかはオジサン、オバサンになるわけですが🤣


さて、もう一度自分を振り返ってみますと…
確かに歳を重ねて若さを失ったのは寂しいけれど、10人並みだった自分は、昔美人と容姿の点であまり差が無くなったことを喜んでいたりします🫢
《美魔女》になるために、今さら高価な化粧品やサプリメントにお金をかける必要もありませんし。


これから先、《輝けるシニア》になるために必要なものは、自分のアイデンティティーなのだと私は思っています。


生き生きと輝いているシニアの方は、自分なりの考えを持ち、他人と自分を比べる必要がないので、《美魔女》になる必要がありません。
持って生まれた容姿ではなく、自分で作り上げてきた人生が その人の美しさになる…私もそうなりたいと思います。


話は元に戻りますが…
今日の故人さまは《農家のおばあちゃん》でしたが、歌がお好きで詩吟を嗜まれる方だったそうです。
出棺の時は、詩吟のお仲間による歌でお見送りとなりました。


お孫さんのお別れの言葉によると、ご自分の考えをしっかり持ってらしたそうで…お美しいご遺影は、その生き方が故だったのかもしれません。


セレモニーのお仕事は、お金のためではなく…自分の生き方を学ぶためのようなもの。
今日も人生を学ばせていただきました😊