いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

子育て回顧録〜絵本と読み聞かせと図鑑と…

今日、久しぶりに市内で一人暮らしをしている娘が帰って来ました。
と言っても直ぐに出張へ出かけなければならず、家に置いてあったスーツを着て新幹線に飛び乗ったようです(私は仕事だったので会えませんでした😂)。


我家の1人娘は33歳。
友だちの多くは結婚していますが、医療従事者として忙しい毎日を送っている彼女は、仕事優先で自分のことを顧みる余裕がありません。
すっかり大きくなった娘(身長は私より小さいですが💦)を見ていると、子育てしていた頃が何だかウソのよう。


私が娘を出産したのは26歳の時で、育児休暇後に職場復帰する予定でしたが、環境が整わず…そのまま退職。
夫は仕事に忙しかったので協力が得られず、ワンオペ育児は大変でした。
マンションに娘と2人きりでいると、いきなり社会から切り離されたような気がして辛かったです。


そのため、何かと用事を作って娘を連れて出掛けました。
まだハイハイしかできなかった娘と、市立図書館で行われていた《絵本の読み聞かせ講座》に参加したのも、家にいたくなかったからです。
自分は読書不足だと思っていたので、娘には幼い頃から本に親しませたいという思いもありました。


司書さんからは、子どもに与える本の選び方や、読み聞かせのシュチュエーションなどについて教えていただきました。
そのアドバイスを参考にして、私が娘に与えた最初の絵本は『はらぺこあおむし』の作者エリック・カールさんの『くまさん くまさん なにみてるの?』です。



(この本だけは、子育ての思い出として断捨離せずにとってあります)
1歳前の娘に本の内容は理解できるはずもないのは分かっていましたが、本という物との出会いのために、見た目にも明るく大きいインパクトのある この本を与えました。
ところが…本が何だか分からない娘は、本に噛みついてしまったのです😂



(途中で綴じてある紙がバラけたのでガムテープで補修してあります🙈)
「きんいろの きんぎょ」の箇所は娘が噛み切ったため、破れが…
ボロボロになった絵本ですが、娘にとっては愛着ある1冊となったようでした。
それから少しずつ年齢が上がるにつれて自分で本を読めるようになりましたが、私に絵本を読んでもらうことの方が好きだったようです。
非常勤で仕事を再び始めてからは日々慌しかったですが、娘と向き合う時間として、私は夜寝る前に本の読み聞かせをしました。


読み聞かせをする本は、市や学校の図書館で借りて来た本、娘が買って来た物やプレゼントで頂いた本など様々。
その中で一番ハマったのは『グリム童話集』でした。


なぜグリム童話だったかというと、私自身が その頃流行っていた『本当は恐ろしいグリム童話集』という本に興味があったからです。
今思えば、寝る前に読み聞かせる本としては大変不適切ですね…怖いし😅


私が娘に読んでいたのは本物のグリム童話集。



偕成社の この挿絵も、ヨーロッパの雰囲気が漂っていて好きでした。
1巻から5巻まで全て揃えて、毎晩1話ずつ娘に読んで聞かせたのです。
それは娘が小学校高学年になるまで続きました。


グリム童話集の中によく登場するのは、ハンスという名前の男の子。
ドイツでハンスというのは、日本で言う《太郎》のような感じでしょうか?
同じような話も多くありましたが、どの話にも哲学的な内容が含まれていて、大人の私にも面白いものでした。


いつだったか忘れましたが…娘を叱っていた時、何のために生きているかという話になったことがあります。
その時、「私たちが生きるのは《この世のお務め》をするため」と娘が言いました。
《この世のお務め》?はて?どこかで聞いたような…🤔
それはグリム童話の中に しょっ中出てくる言葉でした。


この世界で生きる人には(動物も)皆んな、果たさなければならない《この世のお務め》がある。


それは おそらく、ヨーロッパ社会に昔からある哲学のようなものだったかもしれません。
グリム童話を読んでいるうちに、娘の中に《この世のお務め》の存在が、知らず知らずのうちにのうちに根付いていたのでしょう。
実際には、娘から《この世のお務め》という言葉を聞いた時、ビックリして…怒っていたのも忘れて、吹き出してしまいました😅


グリム童話の他に忘れられないのは図鑑です。
私自身が小さい頃、姉の持っていた図鑑をいつも眺めていた経験から、図鑑を買ってリビングのテーブルの上に置いておきました。
最初はチラッと見るだけでしたが、興味がある動物のページを読むようになり、次第に科学や宇宙の箇所も読み始めたのです。
それは自分の将来の仕事を考える時に、大きな影響を与えたようでした。



今振り返ってみると、私は娘を育てながら自分の子ども時代の復習をしていたような気がします。
絵本を選ぶこと、本の読み聞かせをすること、図鑑を眺めて知識を増やすこと…
娘を育てながら、自分も一緒に楽しんでいたのかもしれません。


娘は平成3年生まれ。
「平成ヒトケタ前半は、昭和に片足を突っ込んでいる」と娘はよく言いますが、まさにそう。
私が子育てをしていたのは今から20年以上前で、その頃の時代はまだアナログな部分が多くあり、自分が育った時代と あまり変わらなかったと思います。
ネットもSNSもありませんでした。


情報社会の今、子どもを育てるのは大変そうです。
絵本や図鑑は、今ではデジタル画面なのかしら?
デジタルが悪いとは思いませんが、紙媒体の方が子どもの中に残るような気がするのですが…


娘が子どもの頃、本は紙媒体しかありませんでした。
本という紙媒体のグリム童話や図鑑から得たものは、娘の心の根っこに残っているようです。


さて…
娘の《この世のお務め》は何だったのでしょうか。
大人になってから尋ねたことはありませんが、今の仕事だと言うでしょう。
社会的に風当たりの厳しい立場ですが、《この世のお務め》を見つけられた娘は幸せなのかもしれません。


モノは減らした方がいいけれど…
幸せな記憶が残る物は、捨てずに残しておきたいと私は思っています。
『くまさん くまさん なにみてるの?』と図鑑は、将来 娘が私たちを思い出す記憶のために残してありますが、グリム童話集は処分してしまったので もう手元にありません。
でも…今見たらネットで買えるみたい。
もう一度買おうかしら?🤔
私が娘を育てていた時の記憶をたどるために。


…こんなことを言っているから、モノが増えるんですね。
やっぱり お片付けは なかなか進みません😂