誰かの『暮らし』の跡
私の住んでいる所は地方都市の郊外です。
私が子どもの頃は豊かな農地が広がり、新興住宅がポツポツと建ち始めていました。
土地開発が進められない市街化調整区域なので、40〜50年経っても あまり景色は変わっていません。
でも時代が進むにつれ、農業をする人も いなくなり…あちこちに耕作放棄地が目立ちます。

(フォトACより)
この写真くらいなら まだいいのですけど…
人が手を入れなくなると アッという間に雑木が生い茂り、農地としては使い物にならなくなります。
私も自分が相続した田畑を荒なさいために、見よう見まねで畑を作り始めて15年。
田んぼは大規模営農者の同級生に頼んで 何とか維持している状態です。
どこの土地も同じで、とりあえず耕作はしているという感じですが…ここ最近、更に耕作放棄地が多くなってきました。
あの畑で鍬を振るっていたオジサン、手拭いを被って作業していたオバサンの姿が 今でも鮮やかに思い出されるのに、それらの人は とっくの昔に亡くなって…
そういう自分も還暦を超えてしまいました。
何だか浦島太郎ならぬ浦島花子になった気分です。
ついこの間まで そこにあった普通の景色だったのに、歳月が流れて…もう二度と『あの頃』に戻れない。
そして、自分も いつか ここから消えてしまうのだけど。
そう意識するようになってから、私は誰かが その場所にいた『痕跡』に目が行くようになりました。
耕作放棄地より、もっと それが感じられるのは廃屋です。

(フォトACより)
山間地域で よく見かける廃屋ですが…最近は我が地域にも増えてきました。
廃屋があると、私は つい目が離せなくなってしまいます。
誰かが暮らしていた痕跡を そこに見るからかもしれません。
暮らしていた人の想いが まだ宿っているような気がするのです。
私が いつも通りかかる道の脇にも、住む人がいなくなった家が数軒ありました。
長いこと そのまま放置されていたので、樹木は生い茂り、トタン屋根は錆びて崩れ…それを見続けるのは とても苦しくて。
でもある日、樹木が伐採され始めました。
おそらく重機を入れるための準備でしょう。
取り壊しが始まれば、アッという間に更地になってしまうと思います。
朽ちた建物を見るのは辛かったので…無くなってしまえば私も気持ち的に楽になるかもしれません。
こうして…また景色は変わっていくのですね。
今は それほど多くない廃屋ですが、考えてみれば私の家も廃屋予備軍なのかもしれません。
我家だけでなく、私の地区にある家も皆んな同じで…
殆どの家が70歳以上の2人世帯または1人暮らし。
この世代の方が亡くなれば、廃屋ばかりになってしまいそうです。

私が いつか居なくなったら…通りかかった人は バラの手入れをしていた私を 思い出したりするのかな?
住人がいなくなっても このミモザは咲くのかな?
そんな先のことは分かりませんが😂
できることなら…自分が暮らした痕跡は、キレイに消してから旅立ちたい。
難しいのは、その時が分からないということです。
そんな私にできるのは、毎日を誠実に暮らすことだけ。
といっても毎日変わり映えのない日常ですが😅
健やかに、穏やかに暮らしていきたいな…
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。