無音の美
今日はセレモニーの お仕事がありました。
お式は仏式ですが、リクエスト曲にはキリスト教の聖歌である「Amazing Grace(アメージング・グレイス)」や、教義に相応しくないと指摘されることもある「千の風になって」が含まれています。
本当に演奏しても大丈夫かしら?👀
担当さんに確認すると、喪主さま ご家族は あまり深く考えておられないそうで💦
お寺さまが席を外している時に限り、演奏OKとなりました。
どれも良く知られている穏やかなメロディーなので、お式の雰囲気にピッタリ✨
音楽は それ自体が鑑賞の対象となりますが、日常生活の色々なシーンで効果的に使われます。
特にBGMとして音楽を流す場合は、その場に相応しい曲選びが大事。
私が葬儀で演奏する時、なるべく穏やかなテンポで、音の数が比較的少ないアレンジのものを選んで演奏しますが…たまに とんでもないリクエストが来ることも😅
過去にリストの「ラ・カンパネラ」「愛の夢」、ショパンの「幻想即興曲」「別れの曲」など、バリバリのピアノ曲をリクエスト頂いたことがありました。
「別れの曲」は最初のフレーズが穏やかなので葬儀向きかと思われがちですが、元はショパンが作曲したピアノのための練習曲です(「ラ・カンパネラ」も練習曲)。
曲中には華やかに音の多い部分があるので、全曲を弾いてしまうと、それは葬儀ではなく演奏会になってしまいます。
なので「別れの曲」をリクエスト頂いた時、私は お断りした上で中間部の激しい所を演奏しません(そもそもピアノ科ではないので弾けませんし😂)。
セレモニーでの曲選びは、集った方々が亡くなった方に想いを馳せられるように…
私は『余白の多い』音楽を選んで演奏します。
そして葬儀のシーンが移り変わる場では音楽を止めて無音に。
そうすることで程よい緊張感が生まれるのです。
最近は あらゆる所に音楽が流れているので、常に音のシャワーを浴びている感じですが…本来そこにあるのは 人々の生活する音や自然の音だけなので、過度に音楽があるのは どうかと思ってしまう。
私が とても気になるのは、テレビ番組で使われている音楽です。
テレビのドラマではバックミュージックの音が大きすぎて、俳優さんの言葉が聞き取れないことも。
私の耳が聞こえなくなったのかもしれませんが💦
おそらくセリフとバックミュージックのバランスが取れていないのでしょう。
特に最近流行りのドラマは その傾向にあるような気がします。
少し前の映画では、音楽のあるシーンは あまり多くなくて、無音(音楽がないという意味)の場面が多くありました。
音楽に頼らなくても役者さんの演技力で勝負できて、セリフも聞き取りやすかったのではないかと思います。
絵画や書では、白いキャンパスや半紙から描き(書き)始めるもの。
そうでないと作品として成り立ちません。
音楽も同じで…無音の状態があるからこそ、音楽が生きるのだと思うのです。
仏式の葬儀では、《おりん》の音から始まります。
静かな会場に響く《おりん》の音を聞いていると、仏教徒ではない私でも敬虔な気持ちになり、音色の素晴らしさに心を奪われるのです。
静かな無音の状態の場だからこそ、この音が生きる…
どちらかというと『音中毒』に近い私ですが、たまには音のデトックスをしないと、本当に必要な音が分からなくなるのではないかしら?
そう思って、最近は敢えて無音の時を作るようにしています。
たまに瞑想も…
私は耳は、病気の後遺症で聞こえが良くありません。
これは音楽をする身としては大変なハンディーなのですが、逆にとらえれば、聞きたい音だけを聞いているのかも。
そうは言っても、歳を取るごとに話し声が小さくなる夫と、耳の聞こえない私では会話が成立しないので😂夫からは補聴器を付けろと言われることがあります。
でも、そうしたら聞きたくない音まで拾って聞くことになるんだろうな…
(夫の話も聞きたくないのかも🫢)
それは なかなか難しい選択なので、補聴器装着の予定はありません。
音楽は確かに素晴らしいものですが、それが生きるのは無音の状態があってのこと。
それから音もまた厳選されるものではないかと思うのです。
余白を残しつつ、音を選んで、聞く人の心に寄り添う…
そんな音楽が奏でられたら最高ですよね🍀
その境地に たどり着ける日が来るかどうかは分かりませんが💦
追い求めていきたいと思います。
今日も無事にお見送りできて感謝でした🙏
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