いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

お出かけ〜父を偲んで

今日は風が冷たいですが良いお天気だったので、春休みの計画の中から、父を偲んで海側へお出かけしました。
父が亡くなったのは15年前。
時が過ぎて街並みも ずいぶん変わったので、車で走っても父の生家の場所すら分かりません。


漁港の方には父オススメの魚料理店があります。
今日は そこでランチを食べる予定😋



このお店の創業は大正元年です。
漁師の息子で魚にうるさい父でしたが、このお店は お気に入りでした。
今日は この時期限定の牡蠣フライ定食を食べる予定。
窓側の席に案内され、座ってメニューを開きましたが…あれ?牡蠣フライ定食がないよ?


お店の方に訊ねると、今年の牡蠣は終わってしまったのだそうです。残念😂
牡蠣フライは来年への宿題ですね💦
ということで、刺身活フライ定食をチョイス。



中央上にあるのは、浜名湖特産アオサ海苔。
これは父の好物でした。
お味噌汁に入れるのが定番ですが、これは…?アオサ海苔の酢の物。
海の香りがして、美味しかったです😆



お店は舞阪港に面して建っています。
今日3月21日はシラス漁の解禁日。
今は お昼過ぎなので、漁船も帰って来たのかしら?


お腹いっぱいになったので、海の方へ行ってみます。
この辺りは江戸時代、安政の大地震によって津波の被害に遭いました。
その教訓から海側へ向かってたくさんの防潮堤が築かれたのです。
父が子どもの頃は海まで5つくらい?私が子どもの頃には3つありましたが、現在は1つしか残っていません。




土を盛り、その上に松が植えられていましたが…今は松も ずいぶん枯れてしまいました。
防潮堤の上を灯台へ向かって歩きます。


灯台へ行く途中、舞阪監視哨跡があります。



戦時中、太平洋から やって来る敵機を監視するために、町内の青年によって監視団?が結成されました。
今は新しく建った防潮堤で視界が遮られているので、海を見ることができません。



「B29爆撃機が海から来る」
「機銃掃射が撃って来たから松の陰に隠れて逃げる」
と言う話を良く聞かされたので、おそらく父は この一員だったと思います。
軍国青年だった父は18歳になった時、出征しますが…敵地に赴くことなく終戦を迎えました。


更に歩いていくと灯台があります。



昭和39年に初点灯…ってことは、私と同い年なんですね😆


せっかく ここまで来たので、更に海側へ行って太平洋を拝みます♫



新しく海側に全長17.5km、高さ最大15mの防潮堤ができています。
これは地元の住宅企業 一条工務店の寄付金によって作られました。
その額300億円‼️
「地元に育ててもらった、その恩返しをしたい」という一条工務店の社長さんの お言葉から、当時の鈴木康友市長は この防潮堤を《一条堤》と名付けました。



太平洋は いつ見てもステキです✨
サーフィンをしている人もいますね…今日は凄く寒いと思うんだけど🥶



帰りは いつものシラス屋さんに寄りました。



ちょっと買い過ぎ?🤣
サクラエビは用宗港から仕入れた物だと思いますが💦それ以外は地元産です。
《ぶちのり》はアオサ海苔と普通海苔のミックス。
炙って食べると美味しいんです😋


少し寒かったですが、とても良い気分転換になりました。
父が亡くなる前に、もっと色々なことを聞きたかったなぁ…と思ったけれど。
時は流れていくもの。
今日、私が見た景色も、いずれ過去になっていくのだろうなぁ…
願わくば、大きな地震や災害、戦争が起きないで欲しい。
毎日の普通の日常がずっと続いて欲しいと思いました。