万民の願うところ
地方に住んでいる私の移動手段は もっぱら車。
ちゃんと安全に運転していますが(笑)、通りすがりに色々な物が目に入ります。
道端に咲く花や木々の葉を見ては、季節の移ろいを感じ…
路肩に花束や供物が置かれているのを見た時には「ここで事故があって 誰かが亡くなったんだ」と、心の中で静かに手を合わせることも。
車の通りの激しい道路の脇に ひっそりと野仏が立っていて、誰かが花を供え ペットボトルの水やワンカップを置いているのを見ると、ほのぼのとした気持ちになります。
人里離れた野原や道端、森の中に置かれた庶民の信仰対象として親しまれてきた野仏。
時代が変わっても、人々が平穏に暮らせるよう神仏に祈るのは変わらないのですね…
(供え物がペットボトルっていうのは時代の流れだけど😂)
私が時折通りかかる鉄道高架橋の下にも、小さな野仏が置かれていました。
コンクリートの橋梁の陰にあるせいで…誰も目にとめなかったのか、お供えもありません。
でも、私は静かに佇んでいる姿が好きで、通りかかる度に心の中で手を合わせていました。
先日のこと…その鉄道高架橋の耐震工事が行われることになって、足場が組まれ始めました。
工期が始まると あたりは通行止めに。
あの野仏はどうなったのかしら?
誰も目を止めていないようだったし、(最近の若者は特に)信じる心を持ち合わせていない人が多いから、取り壊されてしまったのかも…気になりましたが、どうすることもできません。
それから数日が経ち、通行止めが解除されたので通りかかると…野仏は元あった所から1メートルくらい先の場所に移動されていました。
しかも、白い玉砂利の上に安置されて、花が供えられ、赤いヨダレかけも新調されていたのです。

何だか ほのぼのとした気持ちになりました😊
よく見ると…確かに野仏ではあるけれど、比較的新しい時代に作られたのかもしれません。
野仏は病気やケガから守り、豊作や平穏な生活への祈りを込めて置かれたと言います。
今も昔も、人々の願いは変わらないのですね…
絢爛豪華な寺院や名工によって作られた仏像もいいけれど、私は何気ない人々の暮らしの中から生まれた『祈る心』の方に魅力を感じてしまいます。
いつの時代でも、平穏に暮らしていきたいと思うのは、万民の願いだと思うから。
解散総選挙もいいけれど、国民は普通の暮らしがしたいだけなのですよね〜…😂
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