いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

お姉ちゃん

連日同じようなネタになってしまいますが💦
今日は姉の誕生日です。


姉は私より6つ年上だから、64歳になったのかしら?
2人姉妹で6つも離れているのは、姉が生まれた後に母が結核に罹患し、長期療養したためです。
姉は物心つく前に、母と離れて暮らさなければなりませんでした。



その後も姉の人生は苦労の連続でしたが、いつも苦境を克服してきました。
高校受験で失敗の後、入学した高校では首席となり、代表で卒業証書授与を受け取り…
推薦入試を利用しないで挑んだ大学受験でも失敗しましたが、入学した短期大学部から成績優秀者となって、4年制の本学へ編入し…
非常勤講師をしながら受験した教員採用試験で3回目にやっと合格して、高校の国語教師になりました。
姉は真面目で努力家だったので、自分で自分の道を切り開いてきたのです。


大変な読書家だった姉の書棚は、常に本でいっぱいでした。
私はその中から興味のある本を借りて読むのですが、生来の飽き性で😅なかなか読了することができません。
ですが姉の蔵書からは多大な影響を受けました。



6歳という年の差は微妙です。
私が小学校に入る頃、姉は中学1年生。
そして私が中学生になった頃、姉は大学生だったので もう家には居ませんでした。


姉は赴任先の学校で義兄と出会い、結婚。
義兄は土地付き家付き爺婆付きの末っ子長男です。
姉は跡取り娘でしたが、「この人と結婚させてくれなかったら、一生結婚しない」と言って嫁に行きました(結果、次女の私が跡取りに💧)。


姉と私は性格が真逆でしたが、仲良しでした。
互いの誕生日にはプレゼントを贈り合い、一緒に買物やランチをしたり。
でも6つも離れているので、いつまでも妹扱いでしたが😅
 


私が40歳を超えた頃、姉の異変に気づきました。
身体が絶えず震えて、話す声がだんだん小さくなり、動作がゆっくりになったのです。
当時姉は同居する認知症のお姑さんを自宅で介護中。
介護疲れかな?と思いましたが、それを姉に伝えることができず…その後、お姑さんは亡くなりました。


間もなく今度は私たちの父が病気になり、施設への入居を検討していた頃、姉が若年性パーキンソン病であることが分かったのです。
父は姉の行く末を心配しながら亡くなりました。
私は病気の姉に代わって父の葬儀で喪主を務め、姉と相談しながら実家仕舞いと両親の墓仕舞いをすることに。



その頃から姉との関係がギクシャクし始めました。
互いの価値観が少しずつ変わってきたのかもしれません。
考えてみれば…姉妹とはいえ、一緒に生活したのは僅か14年。
互いに結婚して別々に暮らしているうちに、それぞれの家の考えに染まっていったのでしょう。


そして姉の病気です。
パーキンソン病は完治ができない難病。
服用している薬の副作用からか、姉は性格が変わってしまったようでした。
元からこだわりの強い性格でしたが、些細なことで言い争いになり…電話でケンカすることもしばしば。



そのようなことが増えて、だんだん姉と疎遠になり…ここ3年くらい連絡をとっていません。
以前は誕生日に必ず電話をしました。
でも…今どんな風になっているのか分からないし、看護している義兄や甥家族に姉のことを詮索していると思われるのも嫌で、連絡できずにいます。


亡くなった両親の記憶を一緒に語れるのは、たった1人の姉しかいないのですが…


毎年3月4日が来るたびに、姉に電話しようか迷います。
今日も朝からずっとモヤモヤ考えていました。
本当に愛情に薄い、どうしようもない妹だなぁ…と。
高い空の上にいってしまった両親にも、そう言われているような気がしてならないのです。