お喋り
今日はセレモニーの お仕事がありました。
故人さまはNPO法人で活動されていて、幅広い人間関係を お待ちだったようです。
会場は男性も女性も、シニアの方で いっぱい。
ピアノの場所すぐそばにメモリアル・コーナー(故人さまの思い出の品々を飾る場所)があったので、参列者の方々の話す声が良く聞こえました。
こんな時は、どうしても お喋りされている内容が聞こえてしまうもの。
シニアの方々は 話し声も大きいんです(耳が遠いから?私もだけど😅)。
シニアになると お喋りになる人が多いのかな?
参列されている方は皆さん お喋りに夢中です。
これは今回に限ったことではなく、多くの お葬式で見られる光景なのですが。
いったい何を そんなに話すことがあるのかしら?と思って お喋りを聞いていると(というか耳に入って来るのですけど💦)、故人さまの話題はチョビットで、ご自分のことを話されている方ばかり。
久しぶりに お会いした知人同士なので、余計に話が弾むのかもしれません。
でも、よく見て(聞いて?)みると、話すのは割と一方的というか…話す人は ずっと話していて、聞いている人は相槌ばかり?
私も どちらかというと お喋りな方だけど、こんな感じなのかしら?と思いましたが…
考えてみると 最近は あまり『喋る』側ではないのかも。
昔に比べて今は あまり喋らなくなりました。
その理由は、疲れるからです😂
若い頃の私は本当に お喋りでした。
なぜ喋るかというと、沈黙が苦手だったからです。
誰かと一緒にいる時に無言の状態になると気まずくて、次々と話題を見つけて話していました。
その頃は頭の回転も良かったからだと思うのですが…喋るにはエネルギーが要ります。
教師をしていた頃、授業では1時間ずっと喋りっぱなし。
これは お喋りな私にとっても なかなか大変でした。
その反動か?喋らなくて済む時は黙っているようになったのかもしれません。
話題を共有できる友だちも少なかったし、人に気をつかうのが嫌で1人でいるようになると、お喋りする必要はなくなりました。
たまには爆発して機関銃のように喋ることもあるけれど🤣
それにしても…なぜ人は喋るのかしら?🤔
疑問に思ったので、毎度お馴染みのChat GPTに訊ねてみました。
それによると お喋りの効能は
①ストレスや孤独感の軽減
②自己理解の促進
③共感の体験
④認知機能の向上 だそうです。
確かに誰かと喋ればストレス解消でき、孤独でないと感じます。
ブログを書く時もそうですが、人に話すことで自分の気持ちに気づけることもある。
相手と気持ちを共有できるので、人と関わるのが認知機能を上げることになる。
では…お喋りしなくなった私は変なのかしら?と思って更に訊ねると…
ライフステージが変化すると内向的になる人もいるし、個人の性格なので おかしいことではない。
過去の経験やトラウマが原因で、人と話すことが億劫になる場合もあり、それは心の防衛反応であり、自分を守るための自然な反応。
また喋ることでエネルギーを消耗する人もいる。
…う〜ん、いつもながら理想的な解答ですね😂
私の場合、今までの人生経験でそうなったのだと思いましたし、喋らない自分を否定されなくて良かったです。
でも…ひょっとしたら私は人と喋らない分、ブログに書いて発散しているのかもしれません(だから いつも長文ブログ🙈)。
まぁコレが私のスタイルなんだと思って、変に納得しました🤣
さて、今日の葬儀ですが…さすがに読経の間に喋り声が聞こえるのはマズイので、
「大変厳粛な場ですので、どうぞ私語は お慎みになられますよう、お願い申し上げます」
と、式前に担当者からアナウンスします😅
今回の お客さまは、良識ある方ばかりだったので、式中のお喋りはなく、携帯やスマホの音が鳴り響くこともなくて厳粛に執り行われ…
故人さまの お人柄が偲ばれる、良いお式でした。
今日も無事にお見送りできて感謝でした🙏
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