いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

いつか来た道

今日はセレモニーの お仕事がありました。
会場は同じ市内で、ここで演奏するのは久しぶり…たぶん1年ぶりくらい?


その近辺は かつて勤務していた学校へ行く通勤路でした。
つい昨日のことのように思ったけれど、確かミレニアムで世間が沸いていた頃だったので、今から25年も前になります。
25年前というと、私はまだ30代😳
怒涛の日々だったなぁ…と懐かしく思いながら会場に向かいました。



通る道は同じですが、風景は ずいぶん変わってしまったようです。
昔、メロンの温室があった場所は空地になっていて、蓮の畑は荒地になり…💧
新しくてオシャレな家は増えたけれど、高級な御屋敷は空家になって雑草が蔓延っていました。
目印にしていた銀行の建物は取り壊され、ドラッグストアのチェーン店がオープンしていて…昔の面影は全くありません。


25年といえば四半世紀なので、風景が変わるのは当たり前だけれど…それにしても早過ぎない?
これでは浦島太郎ならぬ浦島花子です😅


とらひめ市が発行する毎月の広報誌によると、市内の人口は減っているのに世帯数は増加しており、各家族や単身者世帯が増えていることが良く分かります。
かく言う我家も私たち夫婦と娘は世帯が違うので、その一端を担っているわけで…人のことは言えないのですけど💦


世帯の人数が減るということは、家族単位で営む社会生活において個々の負担が大きくなるので、なかなか大変です。
そのいい例が自治会や近隣の『お付き合い』。


母が亡くなった35年くらい前、葬儀の受付は喪家の隣保さんが行うのが常でした。
隣家さんとの付き合いが減って来ると、今度は親戚が行うようになり…15年くらい前、父が亡くなった時は孫たちが受付をしたのです。
でも、最近 私が演奏に入る お式では、受付を お願いできる人がいないので、葬儀会社の それ専門のスタッフが担当するようになりました。


出棺の時も ずいぶん変わりました。
以前は親戚の男性が棺を手で運んでくれたのですが、最近は 運んで下さる方がおられないので、台車に乗せて霊柩車まで お運びします。
ピアノを弾きながら拝見するたびに、少し複雑な気持ちになってしまう。
でも、だからと言って何もできないのですが💧


どの状況も、人の数が減ったことによるもので…それが時代の流れと言えば そうなのですけれど、これから先は どうなるのだろう?と思ってしまいます。


自分が歳をとった時は誰かの お世話になるしかないのですが、今の若い世代は人数も少ないので介護してくれる人はいないのではないか?
ならば頑張って自宅で最期まで暮らすとしても限界はあるし…
いずれ私が居なくなったら《とらひめハウス》もお化け屋敷になってしまうのだろうな。
でも、その頃は 我家のまわりは殆どがお化け屋敷になっていると思います😅



「あの家はバラが咲いていたけれど、今は廃屋になってしまったのね」と…
今日の私のように、久しぶりに通った方は言うのでしょうか。



この道はいつかきた道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる


あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ


この道はいつかきた道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ


あの雲も*いつか見た雲
ああ そうだよ
山査子の枝も垂れてる



北原白秋の詞のように美しかったら良いのですが、これからの日本はそうではないだろうな…


子育て政策は確かに大事ですが、少子化対策も大事よ。
自民党の総裁選は私たちの預かり知らぬところで展開されています。
未来のゴーストタウンを憂いて、本気になって この国の未来のために尽力してくれる政治家はいないのかなぁ…と。
そんなことを思ったのでした。