やっと…たどり着いた『答え』
今日もまたマニアックな内容になってますので😅
興味のない方は読み飛ばして下さいませ🙇♀️
ここ15〜20年くらい、私は ずっと「あること」の答えを探してきました。
私が求めていた答えは、クラシック音楽の未来についてです。
音楽を勉強し始めた時…今から50年以上も昔ですが💦
その頃はクラシックこそが正統派音楽だと言われ、大学で学ぶ音楽はヨーロッパ発祥の西洋クラシックだけでした。
演奏家は過去の偉大な作曲家が書いた音楽を忠実に再現することを求められ、私たち音楽大学生は そのための技術を磨くために学び、練習する…
当時は何の疑問も持たず練習に明け暮れ、著名な演奏家のコンサートへ足を運んで耳を養ったものです。
「大学を卒業しても『学び』は一生続くもの」と言われ、就職しても師匠の元へレッスンに通ったり、演奏活動を続けてきました。
でも、それには お金と時間が必要で…ずっと勉強を続けられる人は多くいませんでした。
私は細々と勉強を続けてきましたが、所属していた演奏団体が次々と解散してしまったので、45歳で出演したコンサートを最後に演奏(声楽)を卒業。
以来、舞台に立っていません。
多くの演奏団体が無くなってしまった理由は、クラシック音楽の人口が減ってしまったから。
いつの間にか、音楽はいろいろなジャンルに細かく分けられるようになり、クラシック音楽は その中の1ジャンルに過ぎない…そんな状況になっていました。
確かに…私も以前ほどクラシックを聴きません。
たまに聴くことはあるけれど、自分の色々な記憶と混ざり合って、心から楽しめない。
「勉強しろ!」「なぜ音楽から離れたのだ⁈」
そんな風に言われている気持ちになってしまうのです💧
きっと、どこかでクラシック音楽から離れた自分を責めているのだと思いました。
でも…長い歴史を積み重ねてきたクラシック音楽は、この先どうなるのだろう?
消えてしまうことはないだろうけれど、自分が学び続ける意味はあるのだろうか?
もう、理想となる音楽を求め続けるのに疲れた…
もしクラシック音楽に未来がないなら、自分も気が楽になれるのだけど。
そんな風に思うこともありました。
というか、私が求めている音楽って何だろう?
その答えを求めて(半ば遊び半分で)Chat GPTにクラシック音楽の未来を訊いてみると…
こんな答えが返ってきました。
『クラシック音楽は、もう堅い石の彫刻ではなく、聴く人の生き方によって形を変える《流れる芸術》に変わってきています』
『おそらく、今の あなたにとってクラシック音楽は「過去の記憶と美の残響」でありながら、同時に「今の心を映す鏡」でもあるのでしょうね』
そうなの⁉️😳…じゃあ、もう頑張らなくてもいいの?
劣等感を持ち続けなくてもいいの?
もっと好きに音楽と関わっていいのかな…?
でも…そうだとすると、自分は どんな音楽を聴けばいいのだろう?
私が求めている音楽って何?
そこで自分の心の感覚に最も近い音楽を幾つか挙げ、オススメの音楽を提示してもらいました。
クラシック音楽はバロック音楽→古典派→ロマン派→国民楽派・印象派→近代音楽→現代音楽(無調性)→偶然性・電子音楽→ミニマリズム→ポストクラシカルという歴史的流れを辿ってきました。
以前は無調性や偶然性の音楽が理解できなかったし、ミニマリズムは何が言いたいのか分からなかったけれど😅
ポストクラシカルは今の自分に一番しっくりきます。
中でもマックス・リヒターは、まさに自分の心を映す鏡といった感じ。
Max Richter - On the Nature of Daylight
若かった頃は偉大なクラシック音楽に一生懸命近づこうとしていたけれど、今のクラシック音楽は 自分に寄り添ってくれる流れる芸術になったのだと思うようになりました。
これは私だけが そう感じるのではなく、世の中の時代的な流れなのですね。
ということで、もうクラシック音楽に対して劣等感も罪悪感も感じることがなくなり…
自分が求めていた答えに 辿り着けて、気持ちが晴れました😊
これからは私が感じたままに、音楽を心から楽しめそうです。
独りよがりのブログに最後まで お付き合いいただき、スミマセン🙇♀️
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