今日の日が続くと信じる《幸せ》
今日は2週間ぶりにセレモニーの仕事です。
毎年、夏は葬儀の数が少なくて、私も演奏する機会が少なく…
最近の私の手はピアノの鍵盤を触るより、剪定バサミやクワを持っている方が多いくらい😅
ちゃんと弾けるかしら?
今回の会場は先々週と同じでした。
前回と同じように楽譜の入った重たいカバンを下げながら歩いていると…
おや?フウセントウワタの花が実になったのかしら?👀
2週間の間に ♪花が咲いて 実がなって〜♪ いたのですね。
ちょっと感動🍀
さて…今回の故人さまは私より1つ歳上の女性です。
比較的お若い方の お式は、大きな悲しみに包まれるので…今日は いつもに増して辛い お式になりそう。
会場入りすると、喪主である ご主人さまが ご丁寧に挨拶に来られました。
今回は特にリクエストがありません。
故人さまは自分と同年代なので、ユーミンやオフコース、中島みゆきなど、昔で言うニューミュージックを中心に演奏しました。
故人さまは喪主である ご主人さまと、とても仲の良い ご夫婦だったそうです。
お二人の趣味は国内旅行で、いつも一緒に出かけられていました。
互いに退職したので、これから先20年くらい楽しもうと思っていた矢先、奥さま(=故人さま)に癌が見つかったそうです。
余命3ヶ月と言われ、あまりに急な旅立ちでした…と、喪主さまは声を詰まらせながら謝辞を述べていらっしゃいました。
その姿は、亡くなった私の父に重なりました。
父も63歳の時、妻である私の母に先立たれています。
正社員として働いていた母は、払い続けた年金を受け取ることもなく、57歳で亡くなりました。
私の両親も定年退職後、20年くらい楽しむつもりだったのですが…
日常の暮らしでは、今日の続きに明日が来て…
それは ずっと続くと信じているのですが、ある日、突然に絶たれてしまうこともあります。
ひょっとしたら、今日の続きが来ること自体、偶然なのかもしれません。
あまりにも 当たり前過ぎて、日常の幸せに気が付かないだけなのかも。
今日が ずっと続くと信じていた喪主さま。
私の父と同じように一人残されて、これから先の日常を過ごされるのだと思うと…
その お寂しさを推察したのでした。
比較的お若い方を お送りする時、私はいつも この曲を演奏します。
どうか喪主さまと ご家族さまに安らぎがありますように。
今日も無事お見送りできて感謝でした🙏
私の日常は同じことの繰り返しで…今日も明日も、ずっと同じような毎日が続くと信じているのですけれど…
日々滞りなく時間が過ぎ、フウセントウワタの花が実になって、キュウリが大きくなり…
それは当たり前であるけれど、そうではないのかもしれません。
『当たり前の日常』に感謝して生きよう(一応、夫にも🤫)…そう思いました🍀



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