いつもゴキゲンでいたいから…

自分らしくあるために。ジャンルを問わず、今日を書き留めていきます。

家と土地の行く末

今朝、お悔やみの回覧が回って来て…どなたかと思ったら、亡くなった従兄の奥さんでした。 

母の実家の お嫁さん(といっても70歳過ぎ)にあたる人です。

今週、私は娘と奈良へ旅行することになっていて、運悪いことに通夜、葬儀とも その日に重なっていました。


身内だけの家族葬となっていますが 親戚だし…お香典だけでも持って行こうか?


そんなことを考えていたら、喪主である従兄の息子さんが訪ねて来てくれました。

今日の午後には葬儀ホールに ご遺体を移動させるそうです。

式には参列できないので、お顔だけも見て お別れをしようと思い、香典(神式なので玉串料)を持って伺いました。



亡くなった母の実家は広大な土地を持つ農家でしたが、跡継ぎだった叔父(母の兄)が亡くなってしまったので、他家に嫁いだけれど戦争未亡人となって実家に帰された叔母が それを相続。

戦後の土地改良で多くの土地を失いましたが、それでも たくさんの農地があり…叔母は婿養子を迎えて それを維持管理して農業を続けてきたのです。


身体が弱かった母の兄弟は6人中2人…つまり叔母と母しか残っておらず、家が隣同士だったこともあって、私たち従姉兄4人は本当の姉兄のように育ちました。

(といっても私だけが ずっと歳下😅)


家は農家でしたが、従兄は勤め人でしたので、お嫁さん(今回亡くなった人)は農業を手伝うこともせず…そのあたりで叔母と色々と揉めていたようです。

母が亡くなって数年後に叔母は事故死し、広大な農地だけが残りました。

その後、従兄は自死してしまい、今に至ります。


近くに住んではいるけれど、叔母や従兄が亡くなってから 全く行き来することがなくなった母の実家へ、本当に久しぶりに行きました。


お悔やみを申し上げ、故人の お顔を拝見し…ふっくらとした人だったけれど、病気のせいで ずいぶん小さくなられたなぁと思いました。

傍らに座っていた従兄の子(兄妹)と会って話すのも久しぶり。


母が末娘だったので、私の年齢は その子たちとの方が近いのです。

いったい 幾つになったの?と訊いたら、40代半ばだそう。


多少リフォームはしたけれど、家の造りは昔のままで…何だか時が止まってしまったような感じです。

まだ誰も弔問に来ていなかったので、2人と庭先で暫し立ち話をしました。



話題は どうしても土地のことになります。

従兄が相続して残した広大な農地、私が母から譲り受けた土地…それらを今後どうするか。

全て市街化調整区域にあるので税金は安くて済むのですが、自由に売買できません。

もちろん、地目を変えて売却することはできるけれど、細切れになっている土地が多くて。

もし売るのならば、土地所有者全員の同意が必要になります。


実は去年の今頃、我家の畑も売却の話がありましたが、誰かが反対したのか?その話は頓挫してしまったようでした。

そんなわけで、私は今でも仕方なく?畑を作り続けています


ですが、この2人が相続する土地は、我家とは比べ物にならないほど広大。

一部、大規模営農農家に作ってもらっている土地もありますが、草ぼうぼうの荒地や、所在・境界がハッキリしていない所があったりと…土地管理は大変そうです。

大丈夫かしら…?


しかし、これは 人ごとではなく、我家も同じ💧

私が畑を作れているうちはいいけれど、それも長くて あと15年くらいかもしれません。

その前に土地の行く末を考えなければ…


我家のまわりに広がる耕作放棄地や所有者不明の土地を見るたびに、これは土地行政の失敗事例だなと思います。

確かに…無秩序な開発は抑制されなければならないとは思うけれど、市街化調整区域の設定は、今の時代に合っていないのではないかしら?


土地というものは先祖から受け継いできた財産です。

でも農業を行わない人にとって、管理しなければならない農地は 負担以外の何ものでもありません。


相続放棄をすれば土地管理はしなくて済みますが、その代わり資産も受け取れないし…

となると、一昨年施行された相続土地国家帰属制度を使うべきか。

でも その場合は負担金が必要になってくるようです。


色々と思うところは ありますが、私の代で終わりにしないといけないな…


大事なのは ご先祖さまよりも、今生きている私たちです。

それを肝に銘じて…我家と、土地の行く末を考えていこうと思いました。