母と万博の思い出
2025年4月13日から大阪関西万博が始まり、連日多くの人で賑わっているようです。
日本で開催される万博は今回で6回目なのだとか。
最初に開催されたのは1970年で、当時私は6歳で幼稚園の年長でした。
三波春夫の歌った万博ソング『世界の国からこんにちは』が 印象に残っています。
我家では万博へ行く計画を立てていましたが、直前になって父が北海道へ出張になり…
母は姉と私を連れて、日帰りのバスツアーで万博へ行きました。
大阪まではバスで片道4〜5時間かかり、日帰りバスツアーは かなりの強行軍でした。
「大きな街へ行くんだよ」と言われた私は、大きな街=東京と思い込んでいたので、道中ずっと「東京には まだ着かないの?」と言っていたそうです😅
とにかく会場が広くて、見られたパビリオンは3つくらい?
一番の目玉だった《月の石》(アメリカ館に展示)を見られたかどうか、記憶も あやふやで…
それでも《太陽の塔》のインパクトは強大でした。
夕方、《光の木》と呼ばれたスイス館に電気が灯っていく様子は とても美しくて、今でも良く覚えています。
当時 小学校高学年だった姉は興味深く観られたと思いますが、私は万博を観るには幼過ぎました😂
でも万博を本当に観たかったのは、誰よりも母だったのだろうと思います。
万博の前年(?)アポロ11号が月面着陸に成功。
未来は夢と希望に満ち溢れていると、誰もが信じていた時代でした。
母も同じで、私たち子どもが これから生きていく世の中は、素晴らしい未来だろうと信じていたと思います。
そのような思いから、万博に連れて行ってくれたのかもしれません。
母はバブルの絶頂期に亡くなり、日本が衰退していく様を見ることもなく、この世からいなくなってしまったけれど…
もし今の世の中を見たら、どう思うかしら?
経済でも何でも、成長している時は勢いがあって輝いています。
でも やがて停滞期に陥り、そして衰退していく。
今の時代、お米も なかなか買えなくなり、物価は上がるばかり。
国際的な犯罪は増加する、戦争は相変わらず続いている…
この先、よくなることはあるのだろうか?と考えてしまいます。
毎回の万博にはテーマというか標語があって、1970年万博では「人類の進歩と調和」。
そして今回の万博は、「いのち輝く未来社会のデザイン」なのだそう。
これからの世の中が どんな風になるのか。
夢があるか?と問われたら、私は自分が年老いた時に寄り添ってくれる、AI搭載の介護ロボットの登場に期待を寄せています。
まさしく「未来社会のデザイン」だと思うのだけど😂
いずれにせよ、希望が持てる未来であって欲しいし、今回の展示が そのような物だったら良いな…
私は人混みが苦手なので、今回の万博へ行くことはないと思いますが💦
できるなら もう一度、吹田市にある万博公園の《太陽の塔》に行ってみたい。
もし見たら…母のことを思い出して、きっと泣いちゃうだろうな🥲
でも‼️必ず《太陽の塔》との再会を果たしたいと思います。


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